山手線新宿駅で人身事故。人を跳ねた山手線を人々は・・・異様な光景
事故に遭った山手線の車両の写真を撮る人たちの行動について彼と話し合いました。
今回のことについて、わたしは、自分だったら写真を撮ることはしないけれど、写真を撮った人のことを頭おかしいとか信じられないとかそういうふうに思えませんでした。誰にでも野次馬の感情はあると思うし、不謹慎であっても写真を撮る人がいるのは仕方ないことなのじゃないかなあと。カメラを向けるという動作をすると、写真を撮っているということが明らかだけど、「知りたい」と思ってしまう限り起こりえることじゃないかな、って。
彼はちょっと違う意見をもっていました。あの状況で写真を撮るという動作はやっぱり異様で気持ち悪いって。というのも、多くの人は何が起こったのか知るためにカメラを向けたのではなくて、何が起こったかある程度分かったうえでカメラを向けたわけで、それは「知りたいという人間の純粋な気持ち」なんかじゃないって。例えばそこに居合わせたのが自分ひとりだったらやらなかったかもしれないことも、誰か他の人がやっていたら「いいんだ」と思って真似する人が出る、それが連鎖する、そういう構図が異様なんだって言っていました。
おそらくテクノロジーが先を行き過ぎて、人間らしさとか人間臭さがそれについていかないのだと思います。携帯電話があれば片手で簡単に写真が撮れてしまうという事実に対し、それが不謹慎だという倫理観が葛藤しているというか。こんなことをいうのはなんですが、今回こういうことが話題にあがること自体が、人の心が健全な証拠なのではとすら思ってしまいます。例えばグーグルグラスのようなものをだれもが装着するようになって、視線をそこにやるだけで簡単に写真が撮れるようになってしまったら、その時は今回話題になっているような倫理観はどうなるのだろう。誰も写真を撮る構えなんかしていない、でも皆が写真を撮って興味本位で拡散して…。あるいは、そちらを見るだけで不謹慎だと騒がれるようになるのかな。
Travelling Sugar
2014年12月20日
2013年12月12日
国連大学で行われた故マンデラ氏の追悼セレモニーで、南アフリカ共和国の国歌を歌う機会をいただきました。
国連大学で行われた故マンデラ氏の追悼セレモニーで、南アフリカ共和国の国歌を歌う機会をいただきました。職場の音楽部でお話をいただいたのですが、音楽部では普段から世界各国の歌を歌っており、南アフリカの国歌も普段から歌っていたレパートリーのひとつでした。ですがまさかこんな大切な時に歌うことができるとは思っていなかったので大変光栄な経験でした。
南アフリカの国歌はコサ語、ズールー語、ソト語、アフリカーンス語、英語の5言語で構成されていて、各言語の歌詞がフレーズごとに次々出てきます。アフリカーンス語の部分が始まるところでは曲調も一気に変わり、これら全部でひとつの曲という概念そのものが新鮮で好きです。
私は礼服を持っていなかったので、最初「着ていくものが無い!」と焦ったのですが、私の同僚がさらっとこんな言葉をかけてくれました。「そこまで固く考えなくても、黒を着て、例えばみんなで違う色のスカーフ付けるとか、袖口に違う色のラインを入れるとか、そういうことができたらマンデラさんの伝えたかったことが表現できるんじゃないかなあ」彼女は「虹の国」の話をしていたんですね。どういう機会にどう振る舞うべき、というのを私はすぐに形から考えてしまうけれど、本当に大切なものは何かを自分なりに考えて表現する、その同僚の考え方が本当に素晴らしいなと思いました。
もうひとつ嬉しかったのは、途中で登場した渡辺貞夫さんが、一曲披露してくださった後にアフリカの労働者の歌「ショショローザ」をちょこっと演奏されたことです。この歌も音楽部ではいつも歌っている定番曲のひとつ。みんなが口ずさめる民謡や子守唄のような感覚で、アフリカの歌も口ずさめるようになったのは音楽部で得た貴重な経験のひとつだなと思いました。
登壇された方が引用していたマンデラ氏の言葉がとても印象に残ったのでノートに書きとめていたんですが、あとから調べてみるとこれはマンデラ氏の言葉ではなかったとか。間違って引用している人がたくさんいる、と指摘しているブログまで見つけました。でも素晴らしい言葉なのでメモしておきます。"It is our light, not our darkness, that most frightens us."
貴重な経験をさせていただけたことに感謝です。
南アフリカの国歌はコサ語、ズールー語、ソト語、アフリカーンス語、英語の5言語で構成されていて、各言語の歌詞がフレーズごとに次々出てきます。アフリカーンス語の部分が始まるところでは曲調も一気に変わり、これら全部でひとつの曲という概念そのものが新鮮で好きです。
私は礼服を持っていなかったので、最初「着ていくものが無い!」と焦ったのですが、私の同僚がさらっとこんな言葉をかけてくれました。「そこまで固く考えなくても、黒を着て、例えばみんなで違う色のスカーフ付けるとか、袖口に違う色のラインを入れるとか、そういうことができたらマンデラさんの伝えたかったことが表現できるんじゃないかなあ」彼女は「虹の国」の話をしていたんですね。どういう機会にどう振る舞うべき、というのを私はすぐに形から考えてしまうけれど、本当に大切なものは何かを自分なりに考えて表現する、その同僚の考え方が本当に素晴らしいなと思いました。
もうひとつ嬉しかったのは、途中で登場した渡辺貞夫さんが、一曲披露してくださった後にアフリカの労働者の歌「ショショローザ」をちょこっと演奏されたことです。この歌も音楽部ではいつも歌っている定番曲のひとつ。みんなが口ずさめる民謡や子守唄のような感覚で、アフリカの歌も口ずさめるようになったのは音楽部で得た貴重な経験のひとつだなと思いました。
登壇された方が引用していたマンデラ氏の言葉がとても印象に残ったのでノートに書きとめていたんですが、あとから調べてみるとこれはマンデラ氏の言葉ではなかったとか。間違って引用している人がたくさんいる、と指摘しているブログまで見つけました。でも素晴らしい言葉なのでメモしておきます。"It is our light, not our darkness, that most frightens us."
貴重な経験をさせていただけたことに感謝です。
2013年7月15日
フランシス・アリス展に行ってきました。
フランシス・アリス展に行ってきました。
世界で起こっている民族どうしの問題や、その中にあって同じ人間通じ合うもの、などを取り上げ、街中で行ったパフォーマンスの展示だったのですが、センセーショナルだったり目に見えて反社会的だったりという方法ではない方法でうまく社会を切りとって私たちに提示しているところが私はとても好きでした。
主だったのが「川に着く前に橋を渡るな」という作品でした。これはジブラルタル海峡で、対岸に位置するスペインのタリファとモロッコのタンジールの海岸から舟の模型を持った子どもたちがそれぞれ対岸に向かって列を成し、「橋」を架けるというものです。
最初、本当に人の列で海を渡したのか(まさか!泳いで外国に行くことになる…)、と思ったり、両方の海岸から伸びる子どもの列が「橋」に見えるようなアングルで写真撮影するのか、と思ったりしたのですが、作家の辿り着きたかった先はそこではなく、言葉も文化も宗教も異なる子どもたちがお互いに対岸の子どもたちの列を想像しながら、水平線上に「想像上の橋」を描けるか、というのがテーマだったようです。じっさい、「人の橋が架かる」という内容のポストカードを街で配って噂を流すことも行ったようで、そのようなストーリーが広まること自体も作品の一部のようでした。
面白いのが、この取り組みはジブラルタル海峡で行われる前に、アメリカの最南端の都市フロリダ州キーウエストと、キューバのハバナ間でも行われたということです。この時は子どもではなく、漁師が出した船で列を作るというものだったのですが、その時直面した問題なども記録として残されていました。
まずキューバ側では漁民組合に声をかけたために100隻ほどの漁師が船を出してくれたが、アメリカ側では個人個人に頼んだため30隻しか集まらなかった、結果として「キューバから海を渡ってアメリカへ行きたい人は多いがアメリカからキューバを目指す人はいない」というようなメッセージを生み出してしまった、ということ。
さらには政治的な問題で、キューバ側、アメリカ側双方で同じプロジェクトを行っているということがお互いに知られてしまうとプロジェクトを中断させられるおそれがあったため、シークレットな状態で進められたこと。参加する漁師自体が対岸の漁師たちの存在を知らないので、お互いが「橋」を想像するという前提が崩れることになってしまったこと。
何かを伝えたくて何かのアクションを行い、それを記録に残して他の誰かに見せる。最初から最後まで綺麗なストーリーになっているものもあるし、ちょっと美化しているような見せ方になっているもの、それでも伝えんとすることに共感できて「いいな」と思うものもあります。でも漁師に自主的に船を出してもらうという大掛かりなプロジェクトで、人を動員するだけでも大変だったに違いないのに、その上テーマの根底を揺り動かすような形に流れていきながら、それすらも淡々と記録として残してあるところにとても好感を抱きました。だからこそ、ジブラルタル海峡での試みはもっと好感をもって見ることができました。
何を完成させた、何が解決した、ということを追うものではないところがアートなんだろうな。展示の途中で読んだ記録冊子に書かれていた作家の言葉が印象的でした。「物語とは、何も解決することなく、場所を通過していくものだ」
東京都現代美術館 フランシス・アリス展
2013年9月8日(日)まで
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141/
世界で起こっている民族どうしの問題や、その中にあって同じ人間通じ合うもの、などを取り上げ、街中で行ったパフォーマンスの展示だったのですが、センセーショナルだったり目に見えて反社会的だったりという方法ではない方法でうまく社会を切りとって私たちに提示しているところが私はとても好きでした。
主だったのが「川に着く前に橋を渡るな」という作品でした。これはジブラルタル海峡で、対岸に位置するスペインのタリファとモロッコのタンジールの海岸から舟の模型を持った子どもたちがそれぞれ対岸に向かって列を成し、「橋」を架けるというものです。
最初、本当に人の列で海を渡したのか(まさか!泳いで外国に行くことになる…)、と思ったり、両方の海岸から伸びる子どもの列が「橋」に見えるようなアングルで写真撮影するのか、と思ったりしたのですが、作家の辿り着きたかった先はそこではなく、言葉も文化も宗教も異なる子どもたちがお互いに対岸の子どもたちの列を想像しながら、水平線上に「想像上の橋」を描けるか、というのがテーマだったようです。じっさい、「人の橋が架かる」という内容のポストカードを街で配って噂を流すことも行ったようで、そのようなストーリーが広まること自体も作品の一部のようでした。
面白いのが、この取り組みはジブラルタル海峡で行われる前に、アメリカの最南端の都市フロリダ州キーウエストと、キューバのハバナ間でも行われたということです。この時は子どもではなく、漁師が出した船で列を作るというものだったのですが、その時直面した問題なども記録として残されていました。
まずキューバ側では漁民組合に声をかけたために100隻ほどの漁師が船を出してくれたが、アメリカ側では個人個人に頼んだため30隻しか集まらなかった、結果として「キューバから海を渡ってアメリカへ行きたい人は多いがアメリカからキューバを目指す人はいない」というようなメッセージを生み出してしまった、ということ。
さらには政治的な問題で、キューバ側、アメリカ側双方で同じプロジェクトを行っているということがお互いに知られてしまうとプロジェクトを中断させられるおそれがあったため、シークレットな状態で進められたこと。参加する漁師自体が対岸の漁師たちの存在を知らないので、お互いが「橋」を想像するという前提が崩れることになってしまったこと。
何かを伝えたくて何かのアクションを行い、それを記録に残して他の誰かに見せる。最初から最後まで綺麗なストーリーになっているものもあるし、ちょっと美化しているような見せ方になっているもの、それでも伝えんとすることに共感できて「いいな」と思うものもあります。でも漁師に自主的に船を出してもらうという大掛かりなプロジェクトで、人を動員するだけでも大変だったに違いないのに、その上テーマの根底を揺り動かすような形に流れていきながら、それすらも淡々と記録として残してあるところにとても好感を抱きました。だからこそ、ジブラルタル海峡での試みはもっと好感をもって見ることができました。
何を完成させた、何が解決した、ということを追うものではないところがアートなんだろうな。展示の途中で読んだ記録冊子に書かれていた作家の言葉が印象的でした。「物語とは、何も解決することなく、場所を通過していくものだ」
東京都現代美術館 フランシス・アリス展
2013年9月8日(日)まで
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141/
2013年7月14日
「英語が通じない」
日英翻訳の原稿で、ある途上国の農村で働いていた日本人スタッフの回想記事がありました。赴任したばかりの言葉の通じなかった頃を振り返り、「英語の通じない場所で…」という内容の文章があったのですが、翻訳者(英語母語話者)からこんな内容のコメントが来ました。「日本人には、日本以外の全世界では英語が話されていて、海外に行ったら英語を話さないといけないという考えがあるから『英語の全く通じない』などという原稿を書いたのではないか。」
筆者はただ単純に、英語は少なくとも日本語よりは世界的に広く使用されている言語なので、「日本語はもとより、英語も通じない…」というような意味合いで「英語の通じない」と書いたまでだと思います。でも次のように言われて確かになと思いました。
「例えば英語の母語話者がどこか外国の小さな農村に行くとして、『英語ならコミュニケーションがとれるだろう』と期待したりはしない。それと同じで、ここは筆者が日本人なので純粋に『日本語の通じない場所で…』と書くほうが自然」
一方で、ある友達に聞いてみたら、こんな意見を言われました。
「世界語として扱われている英語を母語にもつ人が、外国へ行って『この国では英語が通じない』と言うと、そんなつもりがなくても傲慢に聞こえてしまうかもしれない。でもそうではない日本語を母語にもつ人が同じ発言をした場合、傲慢には聞こえないんじゃないか(だからこの原稿はこのままでもおかしくはないだろう)」これもなるほどなと思いました。
筆者の頭の中でどんな考えや感情が起きていたにせよ、言葉として綴ったのは「英語が通じない」という内容だけ。それも日本語を母語にもつ筆者が日本語で考え、日本語で表記した内容です。そしてそういう条件下で生まれた原稿だからこそ、滲み出てくる背景があります。翻訳すると、形としては同じ内容を違う言語で書き換えるだけかもしれませんが、発信する言語が変わるということはその記事を読む人も変わるということなので、伝わる「感じ」が異なってしまうのかもしれません。翻訳の難しさってこういう見えないところにあるんだなと思います。
筆者はただ単純に、英語は少なくとも日本語よりは世界的に広く使用されている言語なので、「日本語はもとより、英語も通じない…」というような意味合いで「英語の通じない」と書いたまでだと思います。でも次のように言われて確かになと思いました。
「例えば英語の母語話者がどこか外国の小さな農村に行くとして、『英語ならコミュニケーションがとれるだろう』と期待したりはしない。それと同じで、ここは筆者が日本人なので純粋に『日本語の通じない場所で…』と書くほうが自然」
一方で、ある友達に聞いてみたら、こんな意見を言われました。
「世界語として扱われている英語を母語にもつ人が、外国へ行って『この国では英語が通じない』と言うと、そんなつもりがなくても傲慢に聞こえてしまうかもしれない。でもそうではない日本語を母語にもつ人が同じ発言をした場合、傲慢には聞こえないんじゃないか(だからこの原稿はこのままでもおかしくはないだろう)」これもなるほどなと思いました。
筆者の頭の中でどんな考えや感情が起きていたにせよ、言葉として綴ったのは「英語が通じない」という内容だけ。それも日本語を母語にもつ筆者が日本語で考え、日本語で表記した内容です。そしてそういう条件下で生まれた原稿だからこそ、滲み出てくる背景があります。翻訳すると、形としては同じ内容を違う言語で書き換えるだけかもしれませんが、発信する言語が変わるということはその記事を読む人も変わるということなので、伝わる「感じ」が異なってしまうのかもしれません。翻訳の難しさってこういう見えないところにあるんだなと思います。
2013年7月6日
自分の言葉で説明するということ
友達に紹介してもらった美容院に行ってきました。
アンティーク調のお店は上品だけど重苦しくない感じで、はさみや スプレー缶の並んだワゴンも見えなければ雑誌棚も見えない、料理 が出てきてもおかしくなさそうな綺麗なところでした。なぜか自分が丸裸にさ れるんじゃないかというような不思議な感覚になりました。
席に案内されると、たいてい最初にカルテを書きます。名前、連絡 先、誕生日、髪の悩みやなりたいスタイル、読んでいる雑誌、さら にはカットしてもらっている間に美容師さんとたくさん話したいか 、ゆっくり雑誌を読んでいたいかを選択肢で選ばせることもありま す。どこの 美容院へ行っても初めてのときはだいたい同じような感じでひとと おりカルテを書き、書き終えたかなというところでカウンセリング が始まるのでそういう流れを予想していたのですが、この店はちょ っと違いました。ご記入くださいと言われた台紙には名前と連絡先 を書くだけ。
自分の好みや悩みはそうそう変わらないので、美容院のカルテって 宅配便の伝票のようにすらすら書けてしまいます。例えば私はくせ っ毛が悩みなので、いつも何も考えずその選択肢にマルをします。 書き終わったら「うんうん、これが私」って妙に納得していたりし ます。でも今回のように何も書かされないと、急に自分自身に向か い合わさせられたような感覚になりました。自分の髪について、全 部自分の言葉で説明しないといけない。私ってどんなスタイルにな りたいんだっけ?いつもお手入れで困っていることって何だったっ け?
なんだかそわそわしていると、担当の人がやってきて自己紹介をし 、ゆっくり丁寧にカウンセリングしてくださいました。話している 間に私が迷いだしても、それもずっと聞いてくれて、わたしの中の おぼろげな希望をちょっとずつ見えるようにまとめてくれました。 好きなスタイルにしてもらえたというより、なりたいスタイルがこ れだったというのが分かったという感じ。
たぶんそこのお店は、選択肢にマルするだけでは表れないところに お客さんの本当の好みや悩みがあると確信しているんじゃないかな と思います。だからあえてなにも書かせないで、会話の中で解き明 かしていくのではないかな。私にとっても、自分がどんなふうにな りたいのか説明しなければならない環境になることで、自分と対峙 する時間をもつことができました。久しぶりに素敵な時間でした!
アンティーク調のお店は上品だけど重苦しくない感じで、はさみや
席に案内されると、たいてい最初にカルテを書きます。名前、連絡
自分の好みや悩みはそうそう変わらないので、美容院のカルテって
なんだかそわそわしていると、担当の人がやってきて自己紹介をし
たぶんそこのお店は、選択肢にマルするだけでは表れないところに
2013年4月23日
冒険
今日は家の近くで用事があったので、探検がてらいろいろ歩いた。
10:15
いっこめの用事が終わった。電車だったら10分ほどで帰れるけれど、
直線距離を見てみたら歩けそうだったので歩いてみることにした。
今日出かけていたのはうちの沿線ではなく、
車だと近いが電車だと線が違ってぐるっと遠回りになるような位置の場所だった。
時どき、仕事帰りに買い物するために隣の駅で降りることがあって
一駅違ってもそんなに駅周辺の雰囲気は変わらないけれど、
路線が違うとがらっと雰囲気が変わるような気がする。
通っている電車も、そのデザインも新鮮だし
私の路線は高架の上を走るけどその線は地上を走っているので
踏切の信号がカンカンカンと鳴るのも新鮮だった。
距離はそんなに離れていないはずなのに、知らない地名、知らない街がそこに広がっている。
知らない駅から知らない電車が走っていて、これに乗ったらどこか知らないところに連れて行かれそうな感じがする。
一人で勝手にわくわくしながら、駅から歩きだした。
10:30
区立図書館を発見。引っ越してきてから図書館を探していたので入ってみることにした。
いろいろ本棚を見たけど、借りられないなら仕方ないな、と思ってカードを作れるか聞いてみた。
住所の確認ができるものと本人証明が必要だとのことだったけど、
今日はたまたま、電話料金の支払い明細を持っていたのですぐに作ってもらえた。
聞いてみると、家の近くにもっと近い図書館があることが分かったので、カードだけ作って出発。
11:15
バス通りをさらに北上していると、雑居ビルの外に「珈琲と絵と音楽」という看板が。
なにこれ!気にならないわけないよね!
覗き込んでみると、ビルの廊下の一番奥がカフェになっているようだった。
ドアを押して入ってみると、まだ開店前だったみたいだったけど
どうぞどうぞと入れてくれたのでコーヒーをいただくことにした。
壁にはいろんな絵が飾ってあったのだけど、そのうちのひとつの絵がとても気に入った。
聞くとお店の方がご自身で描かれているらしい。
細いペンで女性や纏っているドレスなどが描かれているんだけど、
それがまた別のモチーフとつながっていて、
例えば女性がかぶっている長い帽子がそのままモスクの塔のようになっていたり
ドレスの裾のレースがそのまま幾何学的な柄として地の模様のようになっていたり
見たこともない世界観の絵だった。
スケッチブックにいろいろな作品があったのでひとつひとつ見せてもらったのだけど、
めくるごとにどの絵も自分の心にしっくりくる感じ。
風景や人やものを描くのではない、描いた人の頭の中を映し出したような絵なんだけど
「こういうの、私も見たかったんだ!」と探していた景色に出会うような、
そんな不思議な体験だった。
それで、こんなこと言ったこともないんだけど、
そのうちのひとつの絵を売っていただけますかと聞いてみた。
そうしたら快く返事をしてくれて、7月にちいさな展覧会をやるので
その時までに額を探しておいてくれるという。
コーヒーを飲みながら、その後もいろいろ話をしたのだけど、
「額はどんなのがいいですか」「何色がお好きですか」と
時どきふっと思い出したように絵の話に戻る。
その瞬間、「この人、今何か降りてきてる」という感じがしてとても面白かった。
額の話もお値段のことも話したのに、その人は私の名前も何も聞かずに
「ではまた7月に」としか言わなかった。
11:50
店を出ると、職場の同僚に聞いた、この近くのおいしいぱんやさんのことを思い出した。
営業時間が短く、週末も早く閉まってしまう、と聞いていたので
それなら平日の今日立ち寄ってみよう、と行ってみることにした。
帰路から外れて10分くらいだけど、いい運動になるよね。
近くまで行くとあたりにはもういい匂いが立ち込めている。
フランスパンや白パンや、シンプルなパンをいくつか買うことにした。
12:15
パン屋を出て歩くと、聞いたことはあったけどどこにあるのか知らなかった
ケーキやさん、CDやさん、レストランなどをたくさん発見。
わーまた来たい!駅の反対側にこんなにいろいろあったんだ!と思いながら
わくわくが最高潮になったところで、帰宅。
ぽかぽかあったかい日の2時間の冒険はなかなか楽しい時間だった。
2012年12月17日
巡りあわせ
今日はいろんな偶然があった。
もともとレクチャーを聴きに行く予定だったのだけど、その前に吉祥寺でお昼ごはんを食べに行くことにした。
***
目指していたごはん屋さんはちょっとややこしいところにあるらしく、駅から高架沿いをけっこう歩いた。と、ふと「ダンケ」という喫茶店が目に入った。看板に「バターブレンド」って書いてある。なんか見覚えある、と思ったら、心斎橋にあるバターブレンドコーヒー「ダンケ」と同じ店みたいだった。
心斎橋のお店はずっと前に友達に連れていってもらったことがあって、もともとは神戸のお店らしく、そこで食べたチーズケーキとコーヒーの相性が最高だったのでよく覚えている。聞いたら、そこで出しているコーヒーに合わせて作ってもらっているいるケーキなのだそう。白いチーズケーキが真っ赤なお皿に乗って出てきたのも記憶に残っている。
それから、注文したコーヒーとケーキが来て、テーブルの上に伝票が置かれたとき、そこにこんな言葉が書かれていてとても綺麗だと思ったんだ。
いつの日か
この珈琲の香りが
記憶の糸口とならんことを
たとえほろ苦くとも
生きた証として
***
やっとのことでごはん屋さんにたどり着くと、どうやら同じ系列のお料理教室に行ってしまったようで。
引き返して無事お昼を食べられたのだけど、だいぶ遅くなってしまったので予定を変更してお散歩することにした。
***
ふらふらっと井の頭公園まで来ると、雑貨やら手芸やら手作りのものを売っているお店がいくつか出ていた。
前にも井の頭公園に出ていたお店でピアスとネックレスを買ったことがあって、偶然にも今日、その時に買ったピアスをしていた。そんなことを思い出しながら池の周りをぐるぐる歩いていると、前買ったお店を発見!わぁ、と思ってお姉さんにピアスを見せた。
お姉さんは「里子に出した子に再会したみたい!」と喜んでくれた。「その子、どんな服とも合わせやすいでしょう?」って。
で、今日も一組ピアスを買った。
***
またしばらく歩いて、吉祥寺の商店街まで来た。アーケードに並ぶいろんな店を見ながら歩いていると、突然思い出した。10年ほど前に大学受験で東京へ来た時に、このあたりのレストランで食べたラザニアがめちゃくちゃ美味しかったんだ。
母が受験についてきてくれて、吉祥寺の近くに親戚がいたのでたまたま吉祥寺に寄ったのだと思う。階段で二階に上がっていくような入口で、レストランの名前はジャルダン(実際には「ダルジャン」だった^^;)。フライパンの上に乗って出てきたラザニアの中に薄く切ったリンゴが入っていて、お肉とトマトに混じって甘いリンゴの味がするのがとても新鮮だった。昔からあるお店、という感じの雰囲気のよいレストランではあったけど、流行っているのかどうかも分からない、何しろ私たちはたまたま東京に出てきて、その時腹ごしらえをするだけだったので、「わぁ美味しいな」とは思ったけどもう二度と来ることはないだろうと思っていた。でもアーケードを進むにつれ、その記憶がこの辺のどこかだっていう感覚がみるみる確信に変わってきて。
お店は案外あっさり見つかった。アーケードの入り口付近、やっぱり階段で二階に上がっていくようになっていた。
わぁ~って懐かしさがこみあげた。東京へ引っ越してきて吉祥寺は何度か来たのに、どうしてこの場所に今までたどりつかなかったんだろう。
***
で、またしばらく歩くと、ふいにgentenの直営店を発見。
5年前、働き始めて初めて自分に買った鞄がgentenのものだった。すっごくシンプルなやつなんだけど使うほどに馴染んできて、とっても気に入っている鞄。でもクリームが無くなってからちょっとお手入れをさぼってしまっていて、「お店に持っていかなきゃ…」と思いながら何ヶ月も経っていた。その店が突然現れたのでびっくりしてしまって。それに、私は今日その鞄を持ってきていたのだ。
お手入れをしてもらって、クリームもちゃんと買って帰った。
***
お昼ごはんのお店へ行くのに道を間違えていなかったら、コーヒー屋のことは思い出さなかったかもしれない。
予定を変更せずにレクチャーを聴きに行っていたら、井の頭公園にも行かなかったし、ピアスのお姉さんに会っていなかったかもしれない。
アーケードを通らなければ、ラザニアのことを思い出さなかっただろうし、革の鞄のお手入れもできなかったかもしれない。
毎日いろんなものを見て、聞いて、人と話して、その体験はその場では消えていくけれど、何かの拍子にまた自分の前に現れるんだろうな。それは気まぐれに一本違う道路を歩いていたから気付けたような巡りあわせかもしれない。また巡りあったから幸せというものでもないかもしれない。
でも、今日は偶然が重なりすぎて。「たまたまあそこを通ったから思い出した…」というのはあるにしても、今日このピアスとこの鞄で来ていたことを思うと、今朝、家を出る前からこんな贈り物が待っていたのかなぁ、という気がした。
こんなふうに不意に懐かしさに出会う一日もいいな、と思った。
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